呼及舎の自律支援

〈自律支援〉のかたち

呼及舎は、一般的なヘルパー派遣事業所とは少し違うかたちで、重い障害のある人の地域生活を支えています。私たちが主に担っているのは、重度訪問介護を中心とした、長時間・夜間を含む支援です。

重度訪問介護自体がとても特徴的な支援なのですが、その重度訪問介護が支えようとする障害の姿は、この10数年で劇的に変化してきました。従来の支援対象は重度身体障害者が原則でしたが、重い知的障害や精神疾患、難病のある人も地域で生活できるように制度の対象が広がり、これまで「自立的ではない」、「地域移行は難しい」とされてきた人たちにも、地域生活が現実の選択肢として少しずつ広がりはじめています。これは劇的な変化です。

その変化を支える重要な考え方のひとつが、「支援された意志決定」です。意志決定は、必ずしも一人の個人のなかだけで完結するものではなく、周囲の支援を受けながら、共同的に形づくられるものだという考え方です。

呼及舎は、支援の中心に必ず当事者を置きながら、その人が一人で立つのではなく、関係性のなかで立っていけることに重きを置いて、地域生活を支える仕組みを整えてきました。

こうした意味を込めて、呼及舎では「自立支援」ではなく「自律支援」という言葉を使っています。

呼及舎がこの考え方をどう支援の仕組みに反映しているか、3つの視点から整理します。

呼及舎の支援の仕組み

呼及舎の支援体制は、一般的なヘルパー派遣事業所とは少し違います。

以下では、その違いを 1)組織の構成、2)現場内の役割分担、3)現場横断の構造 の3つの視点から整理します。

1)組織の構成

一般的なヘルパー派遣事業所の組織構成と、呼及舎の組織構成を比較した図です。

一般的な組織モデルは、障害者の介助が事業化された2000年代前半に定式化された構成を基盤としていて、当時の制度設計や支援の前提に合わせて合理的に組まれてきたものでした。

一方で呼及舎は、2010年代以降の変化に対応するため、当事者の自律性と支援の持続性が増す形へと再構成してきました。

(比較図)

一般的な介助派遣型と呼及舎の現場自律型を比較し、権限と責任と役割の配置の違いを示しています。

2)現場内の役割分担

呼及舎の支援は、従来の一般的なヘルパー事業所の構成と比べて、登場するプレイヤーや役割分担が異なります。

この図では、ひとつの介助現場におけるプレイヤーとして、当事者/介助者/現場責任者/サービス提供責任者/事業所を示し、さらに「直接のプレイヤーではないが重要な主体」として介助現場そのものを位置づけています 。現場責任者介助現場は、呼及舎の構成のオリジナルな主体です 。現場は情報量と関係性と機動力に優れ、支援をめぐる判断や調整が的確であることが多く、サービス提供責任者に集中していた役割の多くを分担しています。

加えて重要なのは、介助現場が一定の権限と責任を担うことで、より多くの報酬を現場へと分配・還元できている点です。当事者の介護保障と介助者の生活保障の両輪が噛み合うことで、地域生活は安定的に持続します。

(役割図)

本人を中心に、介助者・現場責任者・サービス提供責任者・事業所が役割を分担し、介助現場が一定の判断や調整を担うことで自律的に回る構成を示しています

3)現場横断の構造

比較図と役割図が示しているのは、ひとつひとつの介助現場単位の構成です。

現場横断図は、複数の介助現場を抱える事業所が、それぞれの現場を画一的に管理するのではなく、自律性を担保しながら横方向に接続する構成を示した図です。

この構成によって、自律した現場が孤立することなく、現場を横断する切れ目ない支援を支えようとしています。

(横断図)

それぞれ固有の関係性と歴史をもつ介助現場を横方向につなぎ、ひとつひとつの現場が自律しつつ孤立することのない構成を示しています

〈自律支援〉のなりたち

3つの背景

先に示したように、呼及舎は、一般的なヘルパー派遣事業所とは、組織のかたちが少し違います。その違いは、一見すると小さな組織の些細な工夫に見えるかもしれませんが、実は制度や対象像の重要な変化とその基礎にある世界の趨勢に応答しています。

違いが求められた背景には、次の3つがあります。

  1. 呼及舎が、全身性の身体障害のある人に加えて、重度の知的・精神の人、自閉スペクトラム症の人、行動障害を伴う人、難病のある人の地域生活を支援している事業所であること
  2. そのために「重度訪問介護」という制度類型を主としたヘルパー事業所であること
  3. そして、「重度訪問介護」制度自体が、この10数年の間に大きく変化していること

重度訪問介護という制度は、「重度」といわれる障害を持つ人たちが地域での自律した生活を可能にするためにつくられてきた制度です。この制度は、障害のある人や支援者が国や自治体と半世紀以上前から何度も話し合いを重ねて形づくられてきた、積年の議論と願いが結晶化して生まれてきた制度です。そのためこの制度には、重い障害を持つ人たちの「地域で暮らす」という意向が一心に込められているともいえます。

重要なこととして、この10数年で重度訪問介護が対象とする障害の姿が変化し、地域生活のバリエーションも広がってきました。それに伴って、支援の前提やそれを続けるための仕組みも更新が求められています。呼及舎は、こうした変化を現場の課題として受け止めながら、従来想定していなかった障害を支えることができて、その支援を続けられる形を試行錯誤してきました。

以下では、障害をめぐる社会や制度の変化、世界の趨勢、そしてそれに応えるために呼及舎がどのような支援のかたちを模索してきたのかを、もう少し詳しく説明します。

1)支援の前提はどう変化したのか——2010年代

1970年代を前後して、障害者が家族や施設の外で生きていこうと声をあげ始めた頃、それを実現するための標語として「自己決定・自己責任による自立」という考え方が長らく掲げられてきました。

しかし半世紀ほど時間が経つなかで、この考え方は、いろんな角度から相対化されてきています。というのも、「自己決定・自己責任による自立」は、多くの重度障害者にとって難しすぎるところがありました。もし障害者の地域生活が「自己決定・自己責任による自立」に強く結びついているとしたら、あらゆる障害者の「普遍的な地域移行」は、現実とは距離のある空疎な標語になってしまいます。実際に、自己決定能力を不安視された重度の知的障害や精神疾患がある人は、「自立的ではない」とみなされ、地域生活は不可能だと相手にされない時代が長く続きました。そのため「自己決定・自己責任による自立」という理念は、障害者運動の黎明期から注意深く扱われてきた考えでもありました。これまでにも、次のような疑念が繰り返し向けられてきたのです。

  • 知的障害や精神疾患のために認知機能に不安定さがある人が、「自分で決めて自分で責任もとる自立生活」は現実的ではない
  • 周囲の責任逃れを助長することにもなりうる
  • 一部の〈強い障害者〉の姿をモデル化し、それ以外の障害者に強迫的に作用してしまう
  • 自己決定の考え方が、むしろ障害者差別を呼びこむこともある
  • 介助者が物言わぬ手足になることでピュアな自己決定が担保されるとしても、そのような支援は長くは続けられない

こうした疑念が示すように、「自己決定による自立」は慎重さを必要とする考え方です。しかし意外なことに、障害支援の制度も組織形態も、基本的に「自己決定による自立」に則って構成されてきたところがありました。その結果、 「障害者の地域自立生活」と呼ばれるものが、四肢機能には障害があるけれど認知機能は正常な身体障害者を中心に展開してきた事実は否めません。

こうした流れのなかで、一つのメルクマールになったのが、2006年に国連が採択した障害者権利条約に「支援された意志決定」が明文化されたことです。それまで個人が下すものと考えられていた意志決定が、周囲の人の支援を受けて共同的に行うものであると、国際条約のなかではじめて明言されたのです。この方向性が示されたことによって、それまで「自立的でない」とされてきた重度の知的障害や精神障害のある人たちにも、意志決定の支援を受けながら、親元や施設を離れて地域で生活するという選択肢が、グッと現実に近いものになりました。

日本でもこの世界的な流れに沿うように、政府が2014年に権利条約に批准し、重度訪問介護制度が改正されました。改正によって、重度訪問介護制度を利用できる人は、それまで重度の肢体不自由者に限られていたのが、重度の知的障害の人、精神障害の人、難病の人も利用できるように対象が拡がりました。この十数年のあいだに、認知機能に障害があるなど「自立的でない」とされてきた人たちが地域で一人暮らしをするという、それ以前は考えられなかった状況が、現実のこととして少しずつ広がり始めているのです。

この状況を重要なものとして受け止める意味もあって、呼及舎は「自立生活」ではなく「自律生活」という言葉を使っています。

2)〈自立支援〉のかたちはどう生まれたのか——2000年代

ここまでは、2010年代に起こった出来事、つまり障害者権利条約への日本政府の批准や、それに連なる重度訪問介護の対象拡大について述べてきました。次にふれたいのは、もう少し時代をさかのぼって、2000年代前後の話です。

重度訪問介護を主とした障害福祉サービス事業所は、2003年の支援費制度と、それに続く障害者自立支援法の成立を境に急増しました。その背景には、90年代後半から進められてきた社会福祉基礎構造改革があります 。この改革によって、社会福祉の目的は「自立を支援すること」であると、初めて明確に示されました。

それ以前は、障害福祉サービスの利用は行政主導の「措置」によるもので、サービス利用は国や自治体によってパターナルに決められていましたが、2003年を境に、障害当事者が自らの意志でサービスを選ぶ「契約」へと変わりました。この「措置から契約へ」と呼ばれる変化によって、障害福祉サービスは、利用者と提供者の個人同士の契約を前提としたモデルへとパラダイムが転換しました。

付け加えていうと、障害者の自立生活の世界的な進展が、時代的にも理念的にも、福祉制度の再編やサービスの事業化の流れと重なっていたことは、これまでにもいろいろなところで指摘されてきました。それが依拠する「契約モデル」は、障害当事者が「自立した個人」として契約主体となり、意志決定することを前提にしています 。障害者の自立はこうして強化されてきたものでもありました。ただし、重度障害者が自己決定・自己責任の主体となることにネガティブな側面があることは、先に触れた通りです。

これをふまえて2010年代の変化に目を向けると、障害者権利条約に明記された「支援された意志決定」は、いったん強化された「自立した障害者像」をときほぐす方向に作用したことがわかります 。これは、支援の前提となる障害者像を組み替える点で、もうひとつのパラダイム転換とも呼べる変化を含んでいたのです。

それにもかかわらず、多くのヘルパー派遣事業所の組織モデルは、2003年前後に定式化されたものから大きく変わることはなく、いまでも自立した障害者像を想定した組織構成や運営形態を残したままになっています 。障害福祉事業の組織のかたちも、パラダイム転換を迫られています 。順当に考えて、この変化に構造的に応えなければ、制度疲労によって現場が機能不全を起こすことは否めません。

しかしながら、こうした変化を組織構成にまで反映している事業所は意外にもほとんどないのです。

3)呼及舎はその変化にどう応答したのか——2020年代

呼及舎は、2010年代から試行錯誤を重ねながら、2000年代初頭にモデル化されたヘルパー事業所とは少し異なる組織のかたちを模索してきました。

重い障害のある人の自律は、障害当事者「個人」のなかだけで完結するものではありません。本人を中心に、支援者を含むさまざまな人との関係のなかで支えられ、形づくられるものです。私たちは、こうした関係的な自律を支援の前提としています。

意志もまた、個人の内側からひとりでに生まれるものではありません。障害当事者が周囲の人びとに依りかかり、互いに応答を交わし、影響を受け合いながら、多様な関係のなかでその人の意志が少しずつ形をとり、生活の方向が定まっていきます。

ただし、その過程にどれほど多くの人が関わっていても、自律の主体はあくまで本人にあり、自律性の重心はつねに障害当事者に置かれます。ここがずれるわけにはいきません。

こうした考えを支援の仕組みに落とし込むために、呼及舎は組織の構成を少しだけ組み替えてきました。それが冒頭に示した、呼及舎の自律支援のかたちです。

さいごに

呼及舎は、支えを必要とする人が、その人を中心とした関係性のなかで自律して生きていけることを大切にしています。

これからも状況に応えて支援のあり方を更新し、長きにわたる地域生活が人生という単位で続くよう、その道筋をつないでいきます。